ほしのこえ

週末でねtからはなれてる間に、世界は二、三歩先へ行く。
ログ読んで、夏厨じゃなかった「週末消」の空気ぶりに微笑み、
二大同盟とかなんとか(正直関係ない)の顔ぶれ確認して苦笑し、
30オーバーはヲサーンとかいう惨い言い草に涙をにじませ、
2chなんて平均年齢37だぞと毒づき。

つくづく平和っすねー。
ありがたいことです。
どっかに凸する気にもならない陽気。




そうそう、こんなことを書こうと思ったんじゃなかったのだった。

蔦屋で「ほしのこえ新海誠を借りてきてみた。
この人はいわゆるひとつの天才だとオワタは認識していて、
それは彼の表現や婉曲性のない提示にあるのだけど、
ひとつ自分との共通点をみつけたのだ。
特に「ほしのこえ」がそうだというわけではないし、
もちろん媒体は違うわけだが…。

それは

「美化された日常と、キャラが立っていない人物を用いて、考えを与えること」

特徴としてはフカンやヒキの構図が巧みである。(彼はロケーションにもこだわっている)
人物に魅力がないから、キャラ萌えに阻害されることなく感情移入できる。
彼は直接的に人物描写することはないが、その作品全体から、「人間」が伝わってくるのだ。

ちなみに、上にあげた共通点は、商業作品として明らかに短所である。
ワケは単純。
キャラで売れないからだ。

日本人が何かを創ると、かならず人物を過度に描写したがる。
売れ筋のラノベやアニメを思い浮かべてみるといい。
それがいいとか悪いとかではない。
売るためには必要不可欠なことだ。

「属性」(=記号)などという言葉がそれを如実に物語っている。







そもそも今の子らはイデオロギーがないもんね。
イデオロギーを持つことが意味をなさなくなってしまった時代に、わたしたちは生きている。

理想や主義は、それ自体がステレオタイプな考えである「個性」にとってかわられたのだ。
「個性」をスローガンにした全体主義とさえいえるかもしれない。

だが、その生には意味がない。極論すると、むなしい。
ま、人間なんてものに意味があるとは、誰も思わなくなってしまったのだろうが。
カワイイ、カッコイイ、みんなやってる、が正義なのだろう。



いま、人間の証明、人間の尊厳を回復するときだ。
自尊心のない人間は、ただの生活する屍骸であって、人間じゃない。
自尊心のない、虚栄心だけはある人間が、多すぎはしまいか。
それを受け入れるのも自由ではあるが……。

スイーツ(笑)
DQN(笑)。
ヲタ(笑)。
パンピー(笑)。

本当に、冗談ではない。