エッセイから

昨日、デモ用のエッセイを酒の勢いに任せて書いたのでこっちにも転載しておく。

返ってこないらしいのでちょっともったいないからね。

以下、一部転載


(前部略)
  文章なり、絵画なり、漫画なり、ほかのあらゆる媒体なりを用いた創作、そしてそれらを他人の耳目に任せ、評価を期待する、そうした行為であるが、これが果たして、考え始めると難しい。
  そもそも創作では、作品は自らの評価に耐え得なくては日の目を見ることがかなわない。
  完成と呼ぶべきか、妥協というべきかはまことに微妙なる具合ではあるが、一度自らの表現について自己満足しなくては作品は象とはならないのであって、自尊心を寸毫ほども持ち合わせた創り手であるならば、これがいかに高いハードルとなるかは明々白々である。
  わが子に同じ作品を衆目に(たとい不特定多数でないにせよ)曝すのだから。
  自らの表現技法を疑い、作品の未完成を疑うものである。
  特に、一般の作品は、作者のアウトプットの形をとって、何らかのインプットを基に行うものであるから、彼が受けたに等しい感銘を、見るものに伝えることができるだろうかと考えることは言うにや及ぶ。
  風景を例にとるならば、創り手が作品にして誰かへ伝えたいと願ったほどの風景を、その感銘を自らの文章を通して読み手の脳裏に映し出し、自らの絵を通して観るものの眼に灼きつけずして、何が創作発表かと思うのである。
  いやしくも文を書いております、画を描いておりますと言うのであれば、何はともあれ常に自らの納得できる作品を作るべく励みたいものである。
  なんとなれば、創作と発表とは自己の満足のために行うのではないか。
  ただ、楽しいから、それだけでもいい。
  だが、なぜ楽しいのかは忘れてはならない。  
  自己の人生の価値を高めるために。
  自分が生きた証として。
  他人の喜ぶ顔を、純粋に見たいから――。
  こうして日々、創作に取り組むのである。
  人生には価値があると、確かに信じられるように。
  そして、できるなら、他人にそう伝えられるように。    (終)




……これくらいにして、最近のオワタのマイブーム。

ジン160ml、ポッカレモン20ml

タンブラーに氷を入れ、ジンを注ぎ、レモンを注ぐ。
ステアする。
わー簡単。
ある程度強いので、ご利用の際にはご注意を。