困憊ら


夜のなかに。


昨日は夕食後PCを使うことなく寝込んでしまいました。
予想通りですが、どうも限界っぽいですね。
今日の朝の身体の具合といったら……!


長く寝たんだから良かっただろうって?
とんでもない。
寝すぎで体調が悪かったんじゃないか?
とんでもない。
10時間は寝たはずなのに、「睡眠不足」でした。
右肩だけガチガチに凝ってるし。
そんな日々を送りながら。


でも週の折り返しは過ぎたのだから……と慰めにもならない気休めを……。
そういえば今日は良い天気でした。
流石に家に帰ってからカメラを持ち出す元気はありませんでしたが、昨日までちらついていた雪も解けて、青い空を久しぶりに見ました。
でも、週末の予報は……土日だけ狙い済ましたように二日とも雪。
そろそろ梅の花とか、蕗の薹とか、野良猫とか見たいですよ。
殺風景な雪はもういりません。
まあ、家で引きこもりでも何も問題はないんですけれど、写真を撮りたかったんだけどなー。


モノクロ

このブログは時折モノクロだらけになる時期があって、要するに今もそうです。
今モノクロが多いのはCS5のおかげ(せい)ですが、それだけでもないですね。
自分の概念の中に、写真=「?」というのがあって、それが「リバーサル」だとカラー写真が多くなるのです。
「?」が「白黒ネガ」だとモノクロが多くなり、写真でご飯を食べるようになる以前は「写真=モノクロネガ」と信じて疑ってませんでした。
多分これには幾つか理由があって、135ネガのモノクロでレンズは50mm、みたいな固定観念が主な原因でしょう。
そもそも有名な写真ってモノクロじゃないですか?
エグルストンはじめカラーの写真は組で見てなんぼという感覚が強くて、心に残る一枚、というとモノクロしか出てこない。
この間図書館で「作家別写真の見かた」だったかなんだったか、よく読んでないので記憶が薄いのですが、確かモノクロがほとんどだったかと思います。
アジェ、ウェストン、マン・レイエヴァンズ……。
特に自分が好きな写真家っていうとずっとサルガドなわけですが、サルガドなどはその象徴でしょうね。
ただ、サルガドの写真を好きだというのと、サルガドのような写真を撮りたいというのはイコールではありませんが。
カラーの美しさというのはもちろんよく知っていますが、色がないことによって見えるものというのは決して小さくないと思います。
たとえば東洋絵画における水墨画のそれであり、欧米の職業写真家のモノクロポートレート信仰もそうでしょう。
できることなら銀塩のプリントで、たとえデジタルだとしてもこういうモニタの画像ではなく紙の上にプリントした状態で「写真」を言いたいのですが……。
今の自分のデスクの前の四切のような、といったところで……見られませんね(笑)
プロ志向に対するアマ志向、でもあるんだろうか。
写真館はカラーネガだし広告はポジだし風景屋もポジだ。
で、高校の写真部では普通モノクロネガだろう。
そういうことに違いない。


くだらないことを書く暇があったら早く寝ろ、と。
全くだ。


P.S.
たまたまとある(タスマニアの)写真ブログをのぞきに行ったら、そこでもちょうどモノクロと作品の話が……。
更新時間は自分のほうが後だけど、妙なシンクロに変な気分になった。
モノクロはいいですよ。
カラーの写真を飾ろうとは思わないけれど、モノクロなら何枚あっても困らない気がする。