追憶はセピア色の……

はい、今日のダイアリーはセピア色の日です。
話はイラストの話で。
その前にセピア色の話がちょっと。


セピア色。語源は烏賊の墨のインクです。詳しくはウィキペディアで。
これが雰囲気が出るんです。結局写真の根っこ?のようなものは変わらないものなので、ゴミ写真がよくなるわけではないんですが、こういう雰囲気にはまっちゃうとこればっかりやりそうだ。
コンデジの画像でセピア写真作ってるってのも考えようによってはだいぶ皮肉っぽいですが。それからモノクロームもね。モノクロもちょっと増やそうかなと最近思い始めているのだけど、ただでさえ殺風景なブログが不毛の荒野に見えやしないかとちょっと心配。といっても絵は相変わらずモノクロアナログなので(色鉛筆のぞく)もういっそ白と黒のブログでも目指そうかしらん。ただでさえ減少傾向の閲覧が緩やかにゼロを目指しそうだな。うん、冗談です。
最近検索エンジンリンク元が減ってきてるんで、このブログも人の興味からだいぶずれてきてるものかもしれませんね。トマトスープうめえww


明日は最低気温が氷点下とかなんとか。多分日本は北が寒いというよりは、大陸側が寒いというべきだな。
しかし純粋な日記帳だ……人様の役に立つことがこれっぽっちも書いてありゃしねえ……。あれ、何の話をする予定でしたっけ。ああ、そうだ。イラストでした。

イラスト


最近イラストにかける時間が長くなってきた。それで画力が上がってるとか、作品の質が向上しているとか、そういうワケじゃない。ただ、変なところ=本題以外の場所に手間がかかったりしているというだけだったり。たとえば人物だけ色塗ったりとかもそうかな。ゴシック風の建物を描きこんだり、夜空を点描したりもそう。でも、これは見てる人に伝わるものじゃないんだ。手抜きはわかる。当然。でも、描きこんだところは案外わからなかったりする。下のエントリならミクと建物だけで、背景は抜けてるわ、陰影はハッチングのみだから白い、パースはあっているのか?とかそういうところは目立つ。余白恐怖症でもないから(写真を撮る人って無駄なスペース嫌いだよね。でも、本当は死んでないスペースもあると俺は思う)余白は開けっ放し、建物はA4でも見切れてるしミクの髪も切れてる…挙げればきりがない。
そこを詰めればいい画になるのか、それはわからない。B5サイズにきっちり詰め込んでから考えるべきなのかも。
要するに自分でもどう描いたらいいのかわかってないと。イラスト関係の記事を書くといつもこんなだな。何を描けばいいのかも、どう描けばいいのかも定まらないまま画を描いてるのが見え見え。まだ画を描いてるからほんの少しましで、これで描かなくなったらほんとの語り屋さんだよ。
といっても自分は根性のままに描きまくれるタイプじゃない。いちいちうじうじと頭をひねってみながら、ようやく一歩後退する、そういうものかなと思ってる。
絵描きには言葉を嫌う人もいるけども、ね。多いよね、ノウハウ関係の掲示板とかに特に多い。「描いた数がものを言う」「喋るくらいなら描け」「描きたいものを描いたらいいんだよ」et cetera ……思考停止に近い。
描いた数がものを言うのは当然。描かずに上達しようというのが土台馬鹿な話。「描きたいものを描けばいいんだよ」それはそうだ。描きたくないもの描いても苦痛でしょ? で、問題の所在はそういうところじゃないんだ、と。
スポーツ根性系の語り口でさも当然に語られるから根性論に納得してしまいがちだけど、そこで止まってしまっては何もわからない、よくあるまやかしだ。


根性じゃあ、ない。


才能でも、ない。


本当は何を、どう描くか。そしてそれ以前に、なぜ描くのか。そうじゃないか?


実際そんなことはわかりすぎるほどわかっている、はずなのだけれど、この手の議論ではそこを飛ばして語られることがあまりにも多すぎる。
読んだらわかるとおり、これはもう画力の上達のためのコンテンツじゃあない。
画力の上達のために読んでいる人はいないとは思うが(管理人の画力を見れば明白)これはお絵描きで自己満足するための話だ。画力の上達のためなら、腐るほどあるその手のサイトの門をたたけばいい。
お絵描きで自己満足するということはしかし、自分の画力に自己満足するという意味ではないので、わかってほしい。画を書くことで精神的な満足を得る、とそういう話だ。
もしかしたら結果として画力も上がるかもしれない。


ところで画力って、なんだ?
面倒くさそうな上に面白くなさそうなのでこの話は無期限延期。


今日はセピア色の日。