コンセプトと実現


えー、非常に久しぶりになりますね、自分の写真で始まらないダイアリーというのは。
詳しくは実際に冒頭紹介の動画を見ていただくとして。
はてブニュースからふと見つけたので。
すごいよなー。
こいつには心を動かされてしまいました。


で、考えるわけですよ。


コンセプトとその実現

についてね。
自分の手元にはたとえば冒頭だけで止まってる小説の出だしも結構あって。
それが内容が決まってないとかではなく、全展開が決定している状態だからたちが悪い。


大抵止まるってのは、読む価値と書く価値なんかを秤にかけて止まってしまうか、もしくは他のプロットを書きだしてることが多い。
プロットって二日もほっとくと忘れて流れ去っちゃうからね。ホラ、痴呆症ですから。
だから書くわけだ。プロットは紙にしておくし、冒頭は書く。できれば全部書きたいが、一気の人なので一気に書いて、止まったところで止まっちゃう。だからドキュメントファイルには近未来武侠物、とか倫敦怪奇たん、とかそういう名前が並んでいるわけです。(新しい順に二つあげてみた)
公開する場所もなくて。
それこそサイトを置けよ、という話なのかな。
島京とかはその例を逃れた幸運な例ですね。先にコンセプトは2ちゃんにあって、書いたら投下先が約束されてるから。
いや、こう言い訳を連ねるとどんどん惨めになっていきますね、面白いようだ。心が痛い。
イラストでも完成しないラフの方が多いとか、自分で自分を嘲笑えるレベル。
(ブログに出してないイラストの方が多いので、別に出してない絵が全部ラフで投げてるとかそういうわけではない)


これはなんなのだろうな。止まらない自虐とでも言うのか、世間のクリスマス前の浮かれた気分に自我が轢き潰されたのか。
つまりコンセプトを見つけて、とりかかって、投げ出すプロセスの解明ですよ。
そんな暇があったら創り続けろと言いたくなる瞬間が多いよ。






これはアレだな。
写真作成にいそしむ流れだな。
ノリ突っ込みなんだが思わず突っ込まずに納得してしまった。
駄目ですよこんなことでは。
理解ってるのにね。
それを言ったら今日のダイアリーなんか書く価値もなければ読む価値もないんじゃない?って鋭いツッコミが来ると思うが、これはいいのだ!
ブロガーのアイデンティティ作っておけばそこに逃げられるじゃん!
もう発想からして逃げることしか考えてねえやな。


といいつつ。