新鮮味


最近周囲に旅に出る人が多いとか多くないとか。
写真を撮っているものですから、やはりある程度旅への憧れはあります。
自分には目新しく映る、他の世界を知るということはどうしようもなく魅力的に思えるものです。
これまでにも何回か、視点を変えることで新しい世界に出会えるというようなことは書いた記憶がありますが…。
猫の目線にしてもそうですし、マクロを使う人はマクロの世界を知っている、というような文脈で。
しかし、それらは日常の中の別の世界であって、旅によって得るものとなると少しだけ話は変わってきます。
基本的に、旅は日常の対比だからです。
それは短い逗留期間に裏打ちされた一期一会(日常だって一期一会ですが、旅はことのほかそれが意識されますね)でもあろうし、
普段とは異なる風土、習慣、風、はたまた水の色かもしれません。


マンネリな日々から離れてみれば、違ったものの見方、人生観が形成されるきっかけにもなりやすい…。
何かを知ってから、それに慣れる、もしくは飽きるまでの時間は人間に非常に大きなものを与えます。
読書がそうですし、また他の趣味にしてもそうでしょう。
いずれにせよ、旅が与えてくれるものは決して小さくありません。
たとえ片道2時間の小旅行(旅って言うの?)であっても。



自分には時間をルーティーンで消化することが、人生をいたずらにすり減らしているように思えて仕方がないときがあります。
書物の世界を訪れ、ネットの海を漂い漕ぎ渡り、カメラをかかえて歩くのも、彼岸を探しているからでしょう。
物事が陳腐化する、ということは、自分の時間と世界が陳腐化することに他ならないからです。
もちろん、簡単にそれ――陳腐化しない日常――を得ることもできます。
消費型コンテンツってやつですね。
テレビ、漫画、アニメ、ラノベ、週刊誌、ケータイアプリケーション、枚挙に暇がないですが、これらのコンテンツは消費されるものと成り果てている例が非常に多いです。
提供されるがままに消費して……後には何も残りません。
無論、どれにも例外はありますが、基本的に商業主義が先にたった作品で価値のあるものなどありはしないと自分は考えます。


そういう目線でいると、たとえば名画であったり、文学であったり、そういったものをも「消費」してしまうことになるでしょう。
すくなくとも、そのような見方でひとつの作品が理解できる、その価値の片鱗に触れうると考えることさえおこがましいことなのですが。


少し脱線しました。
人生が陳腐化しないことが必要だ、という話でしたね。
その意識を持っている人の日常は陳腐化しません。


たとえ旅に出ても、その意識がなくしては旅もまた陳腐化するものに過ぎませんし、
たとえ旅に出ずとも、その意識さえあれば新鮮味のある日常を送れる、ということなのです。


問題はその意識を持っているか、ただそれだけ。
自分の生きた時間を価値あるものにしたい、と思える人なら誰でも、その意識を手にできます。
あなたの人生は、いかがですか?


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