仕事、趣味、表現の思考方法


明日も休日です。
週一に休みを取れるのがまるで奇跡のように思える生活はいつまで続くのでしょうか。
おそらく、ずっと続くのでしょう。
このご時勢に写真家として独り立ちするのはまず不可能に近く、著名な写真家であっても資金はバイトで稼いでいたり、というのが普通の時代になっています。
写真のレベルが下がったとは思いませんが、相対的に価値が低くなってきているのは確実でしょうね。
価値が下がって裾野が広がればまだ救いのある展開ですが、なんというか「猫またぎ」化が進行しつつある。
写真館のカメラマンで、未来にあまり展望がもてない、というのは2000年代から根を伸ばしている病理ですし、
今の若者の多くと同様、将来に対して何か具体的に光を見るのは難しい状況です。


転職して普通に趣味を復活しようか、と思わなくもありませんが……。
まあ、今のままでは確実に身体のリミットが来るでしょうから、そのときに転職を考えることにして。


写真の楽しみって、やっぱり金をもらわない写真にあると思うんですよ。
すごく主観的な文章なので、何をこいつは、と思ってもらっても全然構わないんですけれども、やっぱり純粋に自分のために撮る写真が一番楽しいと思うんですよね。
他人が欲しいと思ってる写真を撮ってさしあげるのでも、金をもらって責任持って渡すのでは得られない楽しみがやっぱりありますよね。
「商売」は結局、突き詰めてしまえば「商売」ですから。
こっちも、向こうも楽しくやって、っていう商売をしてるつもりなんだけど、どこかで金銭、っていう定規をはさんじゃってる。
「写真館は慈善事業じゃない」そのとおりです。
だけれども、本当は「自己満足」や「慈善事業」で楽しいのが一番なんじゃないかな?
そういう意味では、素人(アマチュア)がやっぱり楽しいんですよね。
玄人も写真を楽しまないわけじゃないけれども、結局「ニセモノの素人」なわけで、本物の楽しみを得てるわけじゃない。
純粋に自分のために撮って、それが売れてる、という人は除きますが。
(「ニナライカ」って漫画の受け売りが少し挟まってますが、思想自体はずっと以前から持っていたものです)


これって文章も同じで、自分の書きたい文章を書ける素人が一番楽しいです。
文章のレベルはいくらでも上げられるわけだし、プロじゃないからニーズを気にして「ゴスロリ銀髪ツインテヤンデレ眼鏡っ娘貧乳剣士の義妹は実は男の娘」なんてキャラを出さなくてもいい。
いや、自分が書きたいんならいくらでも出していいですけど(笑)
掲示板のワナビなんかでもいるんですけど、「需要があるのを書く」ってやつ。
違うだろと。
「俺の需要があるから書く」だろと。


まーこれは画や漫画でもそうですけどね。
「流行りの絵じゃない」から描かないとかね。
「これがウケるからこれを描く」ってやつ。


結局商業主義は文化を腐敗させてしまう、ってことに過ぎないんですけども。
「小説」がそうだったように。


いや、それで楽しいんなら否定しないですけどね。


でも、「何か他のもののために何かを創作する」のはすごく残念なことだと、自分は思います。
「何か他のもの」が、自分にとって本当に特別(愛する人の笑顔とかね)なら別ですが、やっぱり創作は、創作それ自体が目的であって欲しい。
金のためってのが、どうもね。
金は手段であって、目的ではありません。
絶対に。


酒を飲みすぎたようです、益体もない長文を書いてしまいました。
「趣味が実益を兼ねている」という誤解をしばしばされることがあるもので。
それに、お金の話をちょこちょこ、某ブログで見かけたもので…。


そういえば、残暑見舞いにはフォトショップエレメンツを使ってみたのですが、簡略化が激しいですね。
ほとんどの必要な機能が省略されていて、全然使えませんでした。
というのも金額差を考慮すりゃ仕方がないか。
縦書きできただけでよしとしましょう。


あれ、今日は何を書いたんだ。
そうそう、金のためにやらなくていい、素人(アマチュア)でレベルを究極まで突き詰めるのが創作の理想像、という話で。
なんか一年前と書いてることがかわらないなあ。


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