考える


猫の写真は夕方、出先で撮影。
首輪が見えるので飼い猫さんですね。
今日も秋晴れでした。


今欲しいな、と思っているのがカメラバッグ。
以前使っていたものはS3Proとともに事務所へ返してしまったので…。
別にカメラが2台あるわけでもレンズが何本もあるわけでもなく、
予備のCFとバッテリーだけ持ってる状態なので必要ないようにも思えますが、
車を運転したりするとやっぱり大変です。
移動の際助手席とかに置くのは心配。


自分はカメラバッグに関しては「大は小を兼ねる」と考えています。
機材はできるだけコンパクトなのがベストですが、
たとえ小さいカメラバッグでも、肩にかけて撮影ということはほとんどありません。


今日の一冊はニコンサロンブックスから。
「写真に帰れ」伊奈信男
写真に興味のない人にはお勧めしません。
写真に興味がある人にも勧められるかどうか…。
これは質が低いという意味ではなく、内容が適しているかどうか、という問題ですね。
写真史を学びたいとか、写真論に興味があるとか、写真がマンネリやスランプだとか、
そういう人が読む分には良いのではないでしょうか。


平易に書くことができる内容が格調を優先した硬い文章になっているのも一考。
しかしながら内容は秀逸です。
いまどきの写真評論はよく知りませんが、
評論や批評が芸術に対してどういう路線をとるべきか、そういうことを考えてある。
無論写真が世界に対してどういうものであるべきか、そういうことも書いてある。
全くもってただの小難しい本ではありません。
サロン写真とリアリズム写真とドキュメンタリー写真と、まあ商業写真と営業写真と、
こういう風に考えていったときに自分がどう撮るべきか。
実地に写真を撮っていない人がこんなこと考えたって無駄なワケで(笑)
自分の思いで自分の真を撮っていけ、と思うんですがね。


技術や機材は写真の本質とは関係ない、というのもそう。
ただ、技術や機材を知ることは絶対に無駄ではありませんからね。
たとえ写ルンですであれ、自分の機材について知っていることは重要です。
「24mmのf11の1/125秒(感度は400or1600)カラーネガ」こういう意識があるかないかだけで、
写ルンですの価値は大きく変わるでしょう。


写真では目的と手段が混同されがちです。
ぼけ味が綺麗なレンズだから、ぼかした写真を撮ろう、とか。
本当は被写体を綺麗に見せたいから、そういう写真を撮るわけで。
高い機材を持っておられる方にたまにいらっしゃいますよね。
機材を存分に生かした綺麗な写真なのですが、悲しいかな、
「その人の」何も写真に写っていないのです。


技術や高価な機材がなくても写真は撮れます。
けれども、技術や機材があればよりよい写真が撮れる、というのは事実です。
技術や機材を目的とした写真に堕す危険性は、また別の問題ですね。
中には技術や機材こそが趣味だ、という人もいらっしゃいますから。


よい写真って難しいですか?
被写体を写したいと思って撮ったものがよい写真、
でいいと思うのです…。


(今日の写真だって、無駄な文章ナシのほうがどんなにいいか)
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