雨中の唄


うちの子が最近、網戸を勝手に開けて外に出ることを覚えてしまいまして。
目を離すと開けて出ている。
箱入り娘だったから羽根を伸ばしたいのだろうけど。
困るなー。
首輪を考えるか、閉めこむか。
閉めこんだほうが猫のためだけれども。
当人(猫)はそ知らぬふりで構ってくれーと鳴いてますが(笑)


不採用通知がひとつ。
面接に行ってお話が合わなかったのがひとつ。
ふむ……。
明日も職安には行くんですけれどね。


今日は一日中雨でした。
夜の早い時間に猫を見かけまして。
濡れたアスファルトを這いずりながら撮りました。
写真は近日に。


明日は曇りの予報ですね。
ここのところずーっとこんな感じ。
さて、読書記です。
写真がらみで続くのは申し訳ない。


土門拳エッセイ集 写真と人生」阿部博行編 岩波書店
土門拳という人に対する印象が大きく変わりました。
執念の鬼、非情なレンズ、執拗なまでのリアリズム……。
確かにそれは土門拳と言う人の一面ではありましたが、
彼の著作、文章から立ち現れてくるのは人を超えて情にもろく、
語弊はありますが――細やかな人であるということでした。


これは当然写真からわかっておるべきところで、
いかに自分が「本当に」土門拳の写真を見ていなかったか悟った次第です。
いまではずっと感情移入できますし、彼の写真が撮れそうな気すらします。
これはそれだけエッセイ集の出来が佳いのであって、自分の写真が遠く及ばない、
引き合いに出すさえ烏滸がましい写真であることは言うに及びません。


写真のスタイルとして近いのはむしろ木村伊兵衛のほうでありましょうが
(もちろん先ほどと同じく、月とすっぽんより深い差が歴然として存在するわけですが)
写真の考え方や捕らえ方としては土門拳がずっと近い。
もともとはどんな非情の鬼であろうという風に考えていたものですから、
この本に対しても相当構えて読み始めたのです。
それが読むとてらいなく偽りなくすっと共感できる。
手法に異あれど、被写体へ向かう心に感服しました。


やはり撮っている人の言葉には重みがあります。
それが土門拳だから起こるものなのか、
それともカメラを持つもの等しく同じ思いを持てるのか。
けっして巧い文ではないですが、この人の文章は好きですね。
少なくとも、自分は彼の写真より文章のほうが好きかな。


しかしながら、信念の篭もった作品へ向かうときには
非常な精力を要するものですから、
自分は単に土門拳の写真に向かうだけの力がないのかもしれませんが。
良い写真だが、凄すぎて正視できないと……。


まあそこまではいいませんが、
自分の写真はどっちかと言うと馬鹿にされてるサロンピクチュアですよね。
それはそれでいいのです。
思いを入れずに撮ることはありませんから。


とりあえず、この一冊は大変評価できる本です。
下種な物言いをすれば、買い、です。
写真を志す人にも勧められる内容であります。

.