一年の重み


今日の写真はいわゆる作品的写真じゃないです。
膝の上にうちの子。
記録写真ですね。
なぜこの写真に意味があるのかといいますと……
↓これが、去年の11月28日の写真です。(コンデジ撮って出しだったので同じ環境なのに色温度が超違います。ごめんなさい)

まだ拾ってきて間もないころで、そのころから自分の膝の上が大好きでした。
つまりは膝に感じる、これが一年の重みだと、そういうことなのですが……。
また一年歳をとったなぁ。
もっとも、猫の寿命のほうがはるかに短いですから、一年の重みは比にならないでしょう。
決して同じ年はめぐらないことを考慮すれば、
屋久杉にとっても人間にとっても猫にとっても蛍にとっても、
一年の重みは同じなのですがね。
一秒一秒が一期一会です。


さて、愚にもつかない繰言はやめて……。
昨日はひどい読書記を書いてしまったので、
今日はちょっとマシな読書記にしましょう。
イーザウさんが聞いたら抗議するでしょうが、
自分は昨日の本を読書とは認めません。


さて、今日紹介する本は岩波文庫より出版になります。
ドーデー 作、桜田佐 訳。 「風車小屋だより」
これは間違いなくお勧めできる本です。
昨日とは違います。途中まで読んで、自費で購入することに決めました。
内容としては、プロヴァンスの片田舎、打ち捨てられた風車小屋から詩人がつづる、
陽光にあふれた悲喜こもごもの四季、といったところでしょうか。
自分の嗜好にはどんぴしゃりでした。
内容もさることながら文章も秀逸。
これに関しては訳者の力量を感じずにはおられません。


H・D・ソローを好んで読んだものですが、これもいいですねー。
「森の生活」ともまた違った良さがあります。
さしずめ南仏の気候と人々がそうさせるのでしょう。
自然主義でもなく人間主義でもない心地のいい場所に、この本は連れて行ってくれました。
ことに描写は詩人の面目躍如、原文の美しさやさぞと思わされます。


というわけで手放しで褒めますね。
なんとなれば、写真家は確かに詩人であるに違いありません。
いつの日か、プロヴァンスの風物をレンズの向こうに見たいものです。