模様替え

模様替えしました。
流石に夏仕様では寒々しくて……。
いささか遅かったきらいはありますが。
大きな変更点としては、写真のサイズを600pxに落としました。
CSSってしばらく見てないと見方を忘れますね。
模様替えのときしか見ないので……毎月やればちょっとは変わるかな。
とりあえず来月と再来月はやります。
再来月っていうと西暦2011年ですよ。
21世紀になって早10年ですよ。
時間の過ぎる速さ。
時間と実存ってなんですか?


昨日はブログを更新しませんでした――特に何という支障があったわけではありませんが。
写真もブログに出せないような私的な記録写真(これが一番大事です)を少し撮っただけで。
今日に至っては写真を撮っていない。
このままでは写真がどんどん下手になるのも遠い先ではないだろうなあ。
折りしも紅葉のころである。


今日の一冊は「灯台守の話」ジャネット・ウィンターソン著。岸本 佐知子 訳。
これもどこかで読んだような組み立て。
孤児の少女が語る生い立ち話。平行して語られる街の過去。
間違いなく過去に同じ組み立ての本を読んだことがある。思い出せないのだが。
これだけではありがちで浅くなってしまう本に意味を持たせているのは、
灯台守の後見人ピューであり、主人公のシルバーの考え方である。
考え方というのはあたらないかもしれない。
姿勢というべきか。
それはそのまま作者の物語観であり人生観であろう。
私的大河小説、という矛盾した謂がぴったりくる。
少なくとも物語を書く人間はこういう視点でいなければならない。


二年前に、灯台守の話ではなく鐘つき男の話を書いたことがある。
ちょうど今頃のこと。
未だ未熟な文章で……といっても今に至るまで進歩は特にないのだが。
短い文章なので、ちょっとここへ引用してこよう。
といってもシロートの文章なんて読みたくない人が大半だろうから、
読みたい人だけ続きを読むからどうぞ。
今読むと書いた本人でさえ激しい苦痛を感じるような幼稚な文章なので、あまりお勧めしません。
怖いものを知らない方だけ。



 鐘の音が十有二、街へ響きいってゆく。
応えて遠くで灯台が小さく、明滅したかに見えた。


 はや四十年。
光陰は矢の走るごとくにして過ぎ去り、あの日の少年はもはや老いている。
彼は鐘守りであった。
この街に育ち、この街に齢を重ねた幾十年は、彼の横顔に小さな皺をたくさん刻んできた。


 今夜もまた、夕暮れの街に鐘の音が響く。
遠くイタリィ国の田舎で鋳られた鐘は、百年間毎日、同じ音で夕暮れを告げるのだった。
海の向こうから、大きな木枠に包まれてやってきたあの日から変わらぬ、
やや高いような、共鳴して石畳やレンガに沁み入るような、音。

 在りし日、この街は大いに繁栄した貿易の都であった。
毎週外国船が波止場へつき、海岸の通りには異国の品を出した土産物屋や宿が並ぶ。
街道が街を東西に横切っていて、交易商人達が山を越えて往来するのだった。
朝には商船の霧笛が、街を目覚めさせた。街は背後に山を背負っていて、頂には白い小さな建物が―― 教会があった。
日が暮れるとそこから、あの音が夜の訪れを告げていたものだった。


 変わらないものは、鐘の音だけだった。
いや、鐘の音色も、石畳の染みも、煉瓦の壁の漆喰も、変わってきていたのかもしれなかったが。
ステンドグラスには今も、ひびが入ったままになっていた。
戦時の爆風でガラスのはんだ付けが剥離したのだが、結局修理することもできなかったのだ。
 今でも彼はあの時刻に起きる。霧笛が山に木霊していたあの時刻。
毎朝、白く塗った木の段を登って、鐘楼から海を眺めるのだった。
彼はカソリックの奥義など何も知らなかったが、自分用の小ぶりな聖書は持っていた。
聖書を日々読むのが彼の常であった。
鐘の下の室で小さな机の横に水差しを置き、街並みと海を望んで本を読むのである。
彼はそこで日記もつけていたが、果たしてそれに意味があったのかどうかはわからない。

 
 今年も、十二月二十四日が訪れる。朝方まだ暗いうちに、彼は街へ行った。
誰に会うこともなく用事を済まし、通い慣れた細い坂を登る。
苔が入り角が丸まった石畳に、靴の音が小さく立った。頂上へ着くと、彼は振り返る。
湾から市内に直線状に延びる水路も、煉瓦の町並みや倉庫も、下方、上ってきた路も、右手に広がる入り組んだ海岸線までが見渡せた。
山に囲い込まれた町は、小さな、世界そのものにも見えた。
向きを転じると、くすんだ白塗りの建物がすぐそこに孤独にたたずむ。
くたびれた冬の雑草が這い寄り、壁面にはツタが紅葉した葉――霜が降りていた――をまだわずかに残して広がっていた。
灰色をした冬の雲が空を覆っている。風はひどく冷たい。


 いつもと変わらず、彼は二階の室へ上がり、吹き抜けの室であの本を読む。
彼は幼子イエスが生まれた日が聖書中に書かれていないことは知っていたが、気にとめたことはなかった。
時折水を口に運びながら、擦り切れた革装丁の本を読み続ける。頁の箔はとうの昔に剥がれ落ちていた。
 午後、日記を書いた彼は目を閉じ、少年の日に思いを返した。
橙色の光に包まれた煉瓦の商店街。背の高いクリスマスツリーのてっぺんには、きらきらと反射するめっきの星が付いていた。
行きかう家族連れ。誰の顔にも笑顔が見える。暖かな街の夜に聞こえる鐘の音、笑いさざめく声。


 目を覚ました。
そうして初めて彼は自分が寝ていることに気づいたのだった。雪が降り始めていた。
綿雪が舞い込み、机上のインク壺や、双眼鏡の上に落ちた。
もう、日暮れが近い。机の引出しを開け、聖書を丁寧に置くと、彼は階下へ降り、そのまま外へ出た。
観音開きの大きな戸は海に面している。雪が舞う中、外洋に白波が立っているのが見えた。
案内板を中へ取り込む。もっとも、ここを誰かが訪れることはなかったが。
 鐘楼へ上がり鐘を突くころには、街に細々と灯がともりはじめる。
クリスマスが、始まる。彼は燭台を点け、日記に何事か書き足した。
それが最後のページだった。彼にはまだ最後の勤めがあった。夜半に鐘を突かなくてはならない。
日記帳の裏表紙を閉じ、例の引き出しを開けて聖書の隣に置いた。ますます雪は強くなる。


 夜半になった。あの音が世界の隅々へ響き渡っていく。
海岸線に、山なみに、街路に、音は沁みこんでいき、深く小さく反響して消える。
 聖歌のごとき十二の音色。
 小高い山の天辺に小さな灯が見える。
もしそこにいたならば、最後の仕事を終えた彼が開かれた戸の前、段の上に腰かけ、うつむいて動かないでいるのが見えただろう。
 ややあって、小さな灯は消えて見えなくなった。