地雷を踏んだらサヨウナラ


猫を探しても寒くて会えないということがある。
せっかく会えても、寒くて警戒しているということもある。


 タイトルの「地雷を踏んだらサヨウナラ」を読む。
一ノ瀬 泰造カメラマンの書簡をまとめたもの。
同郷の人である。
「TAIZO」って映画になったんですね、知らなかった。
彼もカンボジアの土となった人ですが……。
「彼も」というのはベトナムの沢教やキャパと同じように、という意味ですね。
表紙を開けると彼の肖像があって、首にF2フォトミック、ニコマートを手にしている。
Nikkor-P Autoのレンズは多分55か85mmで、フードが2箇所歪んでいるのがはっきりとわかる。
F2のほうは長めの玉だろうか、切れていて不明。
いずれにせよAutoタイプだろう。
文中でTTL測光に頼らないようにと注意されている部分が出てくる。
確かに身命賭して撮ったネガがアンダーでは困るだろう。
もう一台、弾が当たったFの話も出てくる。
Fでなく、今時のエンジニアリングプラスチックのカメラなら貫通ものだろうな。


で、同じことばかり言うようだが、戦火の中の人々の写真がいい。
日々命の危険に晒されている人の写真を良いとは不謹慎極まりないが、胸を打つものがある。
命の危険というのが決して大げさでなく、ついさっきまで一緒に遊んでいた子どもが3人死んだとか、そういうことがちょくちょく書いてある。
三分の一くらいは母への手紙だったりするのだが、腿から弾の破片を抜いただの、ヘルメットを貫通した弾丸が額を削っていっただの、ただごとではない。
時折父親(清二氏。2001年他界)からの手紙があって、これが体調に気を使ったり短いながら細やかなもので泣ける。


戦場の写真も、戦火の人々の写真も、自分には撮れない。
それは結局普通の人々の生きる日常の姿なのだろうが、直視できる気がしない。
……甘えなどではなく。