田村隆一全集


静寂の畔で。


やっぱり週の後半は体がぶっ壊れていますね。
ブログを書くのも辛いなぁ。
猫が遊んでくれとしきりに声をかけるのですが、とてもそんな元気はありません。
家の二匹の金魚同様、痛みと疲労の狭間をゆらゆらとたゆたっています。


先週借りてきた田村隆一全集を折に触れて読んでいるのですが、疲れているのであまり進みません。
でも、ル・クレジオよりは大分ましだけれど。
全集を開くと田村隆一のモノクロポートレートがあります。
高梨豊先生が撮影したらしい。


※と、ここまで書いて寝てしまってました。
昨日の夜7時半くらいですね、なぜかいつのまにか猫を布団の中に入れつつ共に寝落ちしていて、2時ごろお風呂のために起きました。
一日おいて同じ言葉を繰り返しますけど、週の後半は無理なんですよ。
精神的には大分仕事に慣れてきましたけど、体力的には全く慣れてないと言っていい。


田村隆一の話でした。
やっぱり才能がありますよね。
ベタな表現だけど、それはあるんですよ。
自分はしばらく詩を書いてませんが(書いていたのは痛いポエムの類ではない、念のため)、ことばっていうのは書き手の人格そのものですからね。
それこそモノクロのポートレートくらいごまかしが効かない。
その上で単なる描写じゃない、心情というか心象というか、バイアスが不可欠な分野だから。
田村隆一はもちろん自分とは全く異なった感性の持ち主なんだけれども、それゆえにこそ学ぶところも非常に多い。
一言で言うなれば(当然そんなことは不可能だが)白く乾いた皮膚の上をワイングラスの欠片で引き切って赤黒く滴らせる夢を見た日の朝のような詩だと、自分は思う。
上記のような描写が実際にあるわけではなく、かわりに時と、屍体と、光と、香水と、垂直が出てくるのだが。
一方で散文の方はそんなによくない。
これはかなり意外なことだった。
批評は読めるが、当世詩人論の類はあまりよいものではない。
ただ批評にはたびたび他の人の作が出てきて、これがかなり秀逸なのでそれだけでも通して読む価値は十分にある。
こうして全集の一冊目を通して読んでみて、この全集がほしくなってしまった。
全六巻だから3万円コース。
買えないなぁ。


   ことばを綴って作品にすることはもうなくなったけれど 
                     写真家は確かに詩人に違いない


一片の写真は間違いなく 
         一編の詩に他ならないのだから