今週のお題「私の宝物」


僕の宝物。
カメラじゃ……ない。
車でも……ない。
中学生のころに少ない小遣いで買った本?
違う。


物はそのものであるだけでは宝物にはなりえない。


僕の宝物は人だ。
家族。なんといっても両親。
学生時代の同級生、先輩、後輩。
仕事の中でかかわってきた人々。
どんな人との出会いも、僕に大切なものを与えてくれる。
ネット上でつながってきた人々。
中でももちろん……このブログを通して触れ合える読者の皆さま。


そういう意味で、カメラは宝物ではないが、写真は宝物だ。
そのデータの背後にあるさまざまな追憶の断片が、大切な宝物なのだ。


より包括的に言えば、記憶であったり経験であったり、そういった人生をとおして積み重ねてきたものすべてが僕の宝物に他ならない。
もちろんこんな人生、必ずしもいい思い出ばかりではないが、辛く悲しい思い出も、宝物だから。
特に大学を退学してからは――つまりそれはこのブログを書き出してから半年ほど後のことだ――失意と落胆、困難と挫折、
その中でもがき苦しむ中で時折掴みえたわずかばかりの輝き……まるでどん底だった。
だった、と過去形で書くのはもはやそうではないからであって、それは自分で決めたのである。
たとえ仕事が辛く腰痛に悶えていたとしても、朝、死ぬような体調不良に悩まされ、不安定なパートに甘んじていたとしても、
もはやどん底ではないし、できることなら……二度とどん底にはしない。
それはそれだけの経験をしてしまった碌でもない自負があるからであり、それだけの宝物を胸に抱いているからでもある。


この三年間、非常に苦しい時期に励ましてくれた全ての人々を、猫たちを、花々を、唐津の海を、そう、僕の宝物の全てを――


僕は決して、決して忘れはしない。