青二才のライフ八苦


ライフハック、という言葉がある。
生活や仕事を効率的に行うためのノウハウがライフハックだ。
具体的にどんなものがあるかはグーグル先生に聞いていただくとして、
僕の記憶のために自分流のライフ八苦……ライフハックとはちょっと違った行動の指針を残したい。
なぜ八苦なのかといえば、必ずしも正しい道や効率的な道を選ばないからである。


僕は現在の目的をある程度確立していて、それはQOLを上げることだ。
QOL、生活の質、ではない。
人生の質だ。
ライフ八苦は「いつ死んでも悔いがないように全力で生きているから、今死ぬわけにはいかない」というような矛盾した原則で構成されている。
例えば「信念を曲げないのは自尊心のある人間の美徳、それを曲げて他人の言を容れるのは人間の度量」といった感じだ。
「可能な限り多くの困難を選び、可能な限り生活を楽しむ」とか。
「愚痴を言いたいときには、他人の愚痴を聞く」とか。
これらは必ずしも生活が効率的に――悪い言い方をすれば楽に――なるための原則ではない。
どちらかといえば自分に厳しくありたいというようなコンセプトがあり、かといって無駄な苦痛を喜ぶものではない。
自分に厳しくと意識しなくてはならないことからわかるとおり、僕は自分に甘いのだ。
僕は自分を信用していない。
隙さえあれば楽をしようとする……妥協のうちに安穏と生きようとし、それは結果的に後悔しか生まない。
かなりストイックな行動原則を課さなくてはどうしようもないほど意志が弱いのだ。


こんな原則もある。

  • どうにもならない問題のことは考えるな、どうにもならないかどうかはとことん考えろ

正視しないのは簡単だし、考えてもどうにもならないことをずっと悩んでしまうのはよくあることなのだ。
人間関係の悩みで死にはしない。
くよくよ考えて人生を無駄にするのなら、それは死んでいるのとなにも変わらないではないか。
で、その対人関係では……

  • 自分が相手に不満があるとき、相手は自分に二倍不満を持っている

これは対人関係に限らない。
車に不満があるときには、車も人間に不満があるのだ(ひとつ上のギアで走るとか、タイヤをこじらないとか、そういう意味である)
カメラに不満があるときは、カメラも人間に不満があるに決まっている。
決まって聞くのが「AFが遅い」遅い?MFならAFよりずっと早いのに?
「包丁が切れない」この前研いだのはいつ? その研ぎ方、保存状態は正しい?
何かに不満をいう奴は絶対に何かを棚に上げているのである。
棚に上げていないとしても、それは現実を受け入れるだけの器量がない、ということになる。


原則だけでなく、規則もある。
「あいさつは自分から、大きな声で」
「道路の上ではできるかぎり譲れ」
「(低体温低血圧なので)体温を下げるな、上げるように保温に努めよ」
「食事と睡眠は多いほどよい」
「親に敬意を払え」
「オートと名のつくものを信用するな」(おっと、オートバイは別だ)
「低ランクの新品より中ランクの中古」
「所有する喜びを知り、与える喜びを知れ」
「金を使わないのは悪いことではない、だが使えないことは悪いことだ」
「全ての作り手に敬意を払え」
「ものには決してあたるな」
「絶対に『でも』とは言うな」
「基本に忠実に」
「準備を怠るな」
「お礼とお詫びははっきり伝えよ」


誰にでもわかる最低基準の行動律と言われてもおかしくない。
それほど高潔な話ではない、大人として当たり前の行動だ。
しかし、当たり前のことを当たり前にできる人間がいったいどれくらいいる?
それがことに克己心が弱く、意志が弱い串子なら?


僕は困難を楽しむような人間になってしまった。
克服するための努力、そして克服に成功することが楽しみなのであって、困難からもたらされる苦痛が楽しみなわけではないのだが。
楽しむのは困難だけではなくて、僕は生活をできるかぎり楽しもうとしている。
楽しく生きるのも、不満の中に生きるのも自分次第。
だって、勿体無いだろう。
時間は戻らないし、人生は短いし、月日の流れるのは早い。
ネガティブな感情に侵されている余裕はないのだ。
写真の話で言えば、世界には誰からも省みられることのない美が、どれほど満ち溢れていることか!
楽しみだって同じで、どんなことでも楽しもうと努力すれば随分違うものだ。
明るくない人間の人生が明るくなるか?


ライフ八苦の目的は自己満足であって、ひょっとすると低レベルに聞こえるかもしれないが、自己満足は独り善がりとは違う。
そもそも僕は自分の現状に満足することはないし、それだから自己満足が目標足りえるのだ。
僕の写真論もこのライフ八苦に立脚しているから、できる限り被写体の尊厳と誠実に向き合うのが僕にとっての写真の「真」なのである。


かなり偉そうに書いたが、このライフ八苦を完全に実践できているわけではない――そんなはずはない。
これはひとつの理想に過ぎないから、度量の小さい僕は毒を吐いてすっきりすることもある。
それによって他人をすっきりしない気分にさせていることも省みずに。
もしそのことに気づいたら、必定自分もすっきりしない気分になるに決まっているのだ。


もちろんまだ若造だから、悟りきったような境地に達してこれを書いているわけではない。
しかしながら、その全てが実体験から出てきたマイルール。
だから「青二才のライフ八苦」
今日はそんな、ライフ八苦の話。